指導する側が求める「物事の本質」というものは、大抵「苦しみの先」にある。そこに辿り着く前に
「苦しいから」とか「楽しくないから」と言って目の前の物を投げ出してしまうと、今まで取り組んで
きた物事の本質や、本来そこから学べることを捉えることができなくなる。単に、苦しい思いをしたと
いう結果だけが残るため、そりゃぁ「おもしろくない」よね…。
また、物事を途中で投げ出した人間はある種の「快感」を脳へと刻み込む。まるで薬物のように。苦
しみから「解放」された快感を脳が覚えてしまうと、事あるごとに脳がその「快感」を求めようとす
る。結果、途中で物事を投げ出す常習性がついてしまう。こうなると、物事が長続きせず、やってはみ
るものの効果なしという状況だけが生まれる。自分は何をやってもダメだと思い込み、自分で自分に蓋
をするという悪循環に陥る危険性すらある。
物事の本質をつかみ取る、あるいは面白くなってくるまでやり込むことで、社会で必要な「忍耐力」
や「粘り強さ」もついてくる。それを中学までの勉強で身につけてほしいと思う。「命の危険性」があ
るものについては遠慮なく逃げ出してもらっていいが、自分にプラスになる物事であれば、真摯に取り
組み続け、「本質」が見えるようになるまで、あるいは「面白さ」を感じるようになるまで頑張り抜い
て欲しいと思う。どこまで頑張れば見えてくるかは個々の資質(ここまでの蓄積)次第だから、明言は
できないが、必ず見えるようになるものだと思う。今は見えなくても、あとほんの少し先にあるのかも
しれない。だから、努力を断つこと、途中で投げ出すことだけはやめよう。