他人より抜きんでたとき、
あるいは
過去の自分と決別したかのような
大きな変化が見られたときに
はじめて
“努力した”
という言葉は
説得力を持つ。
悲しいことかもしれないけれど
結果が伴わなければ
いくら
“努力した”
と言われても
結局は
認められないんだよ。
自分なりに
いつもより頑張ったとしても
周りの子たちが
それ以上に頑張っていれば
自分は
相対的に落ちていくんだ。
だから、
周りの子たちよりも
はるかに頑張っていなければ
目に見える成果には
つながらないのは
分かるよね?
努力したかどうかは
言葉で表現するものではない。
結果で示すんだよ。